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311日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:08:50.38ID:nhvmLyTT
5 島の惨状と改善意見 中編

それでも西郷は『何処ヲ見テモ厳シイ政治ガ行ワレ、大島ノ有様八見ルニ忍ビザル
状態ニテ』と、島のあまりのみじめさに義憤を燃やしたりしている。

その義憤で、仮屋役人を怒鳴りつけたり、代官所へかけ合いに行ったりした逸話を
残しているが、彼が「大島の大恩人」といわれる確証は、許されて帰藩後の元治元年
(1864)3月の「大島外二島砂糖買上げ方について」藩へ提出した上申書である。

紙面の都合でその全文は略するが、この上申書で西郷は『道之島砂糖御買円(かい
まるめ)の御趣度については甚だ以て苛酷の訳にて、五倍のご商法に御座侯処、近来
弥増々に取立てかきびしく、人民困苦に迫り候へぱ』と、書き出しで藩の苛酷さを述
べ、島へ遣わす代官や横目等の善悪如何で、民心の向背を左右するから、充分その人
柄を調査してから任命していただきたく、また島で一番必要としているのは米である
から、砂糖一斤で米三合替えて規定は厳守して貰いたいこと。更に木綿百六十匁を砂
糖三十芽と交換しているがこれはあまりに高ずぎるから二十斤にするのか妥当である
などと訴えている。

そのほか金輪車の値段があまりに高く、多くの島民はこれを買いたくても買えないとか、
砂糖樽の風袋が十六斤以上のものは受けつけないようにしているがこれでは島民に
損失ばかりかけることであり、風袋何片、正味何斤と記すようにすれば、
多少の軽重は差支えないはずだ等と島の窮状も訴えている。

「大島外二島砂糖買上げ方について」の上申書や、西郷が仮屋役人を怒鳴りつけたり、
代官所へ百姓たちのためにかけ合いに行ったなどという逸話は、西郷が島の人を
「ハブ性」と評し「毛頭人」「えびす共」とよぶことと、心情的に矛盾するものではない。

彼(西郷)の島人への同情や、仮屋役人の執務や、藩政の苛酷さへの憤りは、彼でなくても、
普通の感覚を持った人間の当然の態度であると言えるものである。
つまり、30歳台の若者の誰しもが持つ正義感の発露なのである。

視点を変えて言えば、島の人たちの生活の惨めさや、そこまで島人を苦しめる薩摩藩の
政策のむごたらしさや、仮屋役人どもの横暴さが、島人を「毛頭人」「えびす共」
と蔑視している西郷をさへ義憤にかりたてたと言うぺきであろう。
313日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:09:37.74ID:nhvmLyTT
5 島の惨状と改善意見 後篇

島民の惨めさをまのあたりにして、藩政の苛酷さや仮屋役人の横暴さを憤ったのは、
ひとり西郷だけではない。名越左源太や重野安繹、田代清太をはじめ政治犯として流
罪になった殆どの遠島人がそうである。

殊に文化2年(1805)春から同4年春まで大島代官として着任していた本田孫九郎親孚
(ちかざね)は文化3年春「上申書」を提出しているが、それには安永6年(1777)の
第一次砂糖惣(そう)買入れ制(註)以来再三取り締まられている「八月踊り」の禁止は、
島民の勤労意欲をそぐという意見や白糖製造がいかに不経済で百姓に迷惑をかけて
いるかの説明。砂糖代価として島民に渡される米に赤米が過分にまじっていたことへの抗議。
島民を苦しめる砂糖の過分「買重」(かいかさみ。安い公定価格での強制買上げ)への
反対等々具体的な数字をあげて論じている。

更に彼は在島中の著書「大島私考」のなかで、『惣買入トイウトキハ、島民商売ノ交易ヲ
禁ジテ、租税ノ余リヲ皆諸品ニカエテ、年貢ト同ジク上ニ奉ル。コレ人君ノ民ノ利ヲ貪ルニ
似タリ。恥ズべキニ非ズヤ』と記して、痛烈に藩政を批判している。
それ故に西郷ひとりを「大恩人」などとするのはあたらない。

※(註)
砂糖惣買入れ制 = 薩摩藩が奄美の黒糖を独占するために施行した政策。
島民が作った砂糖で年貢(税金)以外のすべての砂糖の自由売買を禁じ、
強制的に藩で買いあげ、代価としての米はじめ島民の日用必需品を藩から
支給し、金銭の使用を禁止した。
惣買入れ制は二度にわたって施行され、第一次は安永5年(1776)から
天明7年(1787)まで、第二次は天保元年(1830)から明治5年(1872)までである。
この第二次の42年間を歴史上「黒糖地獄」とよんでいる。


また、西郷か島民のために上申書を書いたりしたことは、この後の明治五年の
「大島商社」設立の時、『商社ガ砂糖ヲ全国二売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ
利益ヲ占メラレルデアロウカラ、ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウ
ニシナケレバイケナイ』という意味の手紙を桂久武に出したりして、奄美の砂糖
利益を旧藩時代そのままに、鹿児島で独占しようとしたり、その大島商社を廃して
砂糖の「自由売買制」にしていただくように県庁に嘆願に行った大島の人々を、
西南の役に強制的に従軍させたこと等とも、まったく矛盾はしないのである。

(引用者注・・西郷にとって奄美人は、薩摩のために一方的に使われるべき農業奴隷
であることに変わりなく、西郷の奄美人への憐れみとは、あくまで農奴の分限の中
での憐れみであり、矛盾はないとしているのであろう)

西郷の奄美に対する感覚は終始「大島人は蔑視すべき異国人」、つまり「毛頭人」で
あり「えびす共」であった。
このことは、愛加那と西郷の結婚生活や、愛加那が生んだ菊次郎・菊草という二人
の子どもの扱い方に於いても見られる。
314日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:10:23.73ID:nhvmLyTT
6 西郷と愛加那

従来、西郷と愛加那とは愛し合うていたとか、なかには臆面もなく「西郷と愛加那
は恋愛結婚であった」などと書いた本もあるが、これなどは皮相の見解と言える。

奄美には「幸せをもたらす神が海の彼方から来る」という考え方がある。琉球古神
道(ノロ宗教)のニライ・カナイの神観念である。

この特性は、自分たちの住む世界だけが最上であるとし、自分たちの習慣を固守し、
自分たちだけで団結し、外部を悪の住みかとおそれ、外部から来るものを侵略者と
して拒否しようとする農耕民族のものの考え方と異なるところであり、また未知の
ものへは極端な敵がい心を持ち、それを撃ち滅ぼすことが、自分たちの利益である
とする狩猟民族的感覚とも相違するところである。

つまり、ニライ・カナイの神観念が、海洋民族の特性なのである。

ニライ・カナイの神をおそれうやまい、感謝のおもいで迎え、それにかしずく奄美
の人たちは、それと同じような感覚で、海の彼方のヤマト(薩摩)から来る人たちを
来迎神のようなおもいで迎え入れた。

仮屋役人のアンゴになることでさまざまな恩典があることや、流罪武士の島妻にな
れば衆達層への道がひらけることは既に述べたが、そのような現実的ではっきりした
ものがなくても、来迎神というおもいで外来者を迎え入れるのは、奄美の人たち固有
のものである。

そういうおもいから、愛加那が西郷との結婚を(最初は自分からすすんでではなくても)
よろこび、献身的な愛を西郷に捧げかしづいた心情はうなずける。

この愛加那の愛情に対して、西郷はどうこたえただろうか。「竜郷潜居中の西郷南洲」には
『西郷と愛加那の結婚生活は何の制約もない、あけっぴろげなもので、西郷は客
人が居ても愛加那を膝の上に乗せ、愛撫を惜しまなかったので、居合わす者が赤面す
るほどであった』と記している。

「これこそ、西郷が愛加那を愛していた証拠である」と力説する人が居るが、果して
そうだろうか。
西郷は薩摩本国を遠く離れていたとはいえ、武士である。しかも、質実剛健をほこ
りとする薩摩武士である。その薩摩武士が、客人の前で自分の「妻」を膝に乗せて愛
撫したりするだろうか。

維新の志士たちはよく京都の祇園で遊んだ。その祇園でも薩摩の武士たちは、他藩
の連中が芸妓にたわむれるのを見て眉をしかめたという。芸妓にすらそうである。
ましてや自分の「妻」である。その妻を客人の前で膝に乗せて愛撫する−これを夫の
妻への愛情の表現と解釈できるだろうか。

西郷が愛加那を自分と対等の人間(武士階層でなくても)と考えていたら、決して
人前で膝に乗せて愛撫するような愛情の表現はしない。現代人の感覚ですら、このよ
うな愛撫の仕方はペットへの愛撫表現である。

西郷は愛加那をただの愛玩物−はるか下層の毛頭の娘という感情を持っていたから
こそ、このような行動がとれたにちがいない。

また客人というのも仮屋役人や流罪武士などという同じ薩摩人ではあるまい。ここ
でいう客人は島の人たち、そのなかでも彼と相撲をとったり、彼の魚とりの案内をし
たりする青年たちだったにちがいない。このような青年たちも同じ毛頭人である。
毛頭人の前で同じ毛頭の娘を愛撫してみせる−これは、質実剛健をほこる薩摩武士の
体面にかかわることではないのである。
315日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:11:06.54ID:nhvmLyTT
7 愛加那の心情 前篇

愛加那と西郷が結婚したのは安政6年(1859)11月である。愛加那23歳、西郷33歳。
笠利家家譜によると愛加那は竜総本家ではなく、二男家十六代為元の庶系の孫にあたる。

文久元年(1861)正月菊次郎(註)が誕生したが、翌文久2年1月西郷は許されて帰藩した。
しかし、西郷の独断専横が藩主(の父 ※引用者)久光の怒りをかい、同年6月に再び
徳之島へ流された。その途中、大島西古見に寄港し、竜郷出発時から従僕として連れて
いた宮登喜(みやとき)に「徳之島へ行くが、逢いには来るな」という伝言を託して
下船させている。

※註 = 菊次郎は台北支庁長や京都市長を歴任し、殊に台北へ赴任する途中
明治29年名瀬で愛加那と会っているが、菊草は菊子と改名し、
19歳で大山精之助(大山巌元師の実弟)と結婚したが、生涯愛加那へは音信不通であった。
なお、愛加那は明治35年8月66歳で没している。

西郷は7月に徳之島湾屋(わんや)に上陸、総横目琉仲為の斡旋で岡前村の(松田)勝伝
の家に起居することになった。

竜郷では7月5日に菊草(きくそう)が誕生し、わが子見せたさに矢も楯もたまらなくなった
愛加那は8月26日、二児を連れて岡前村を訪ねたが、たった一夜の逢瀬で西郷は
沖永良部島遠島令達状を受けた(一説には、これは西郷自らの画策とも言う。
その後一ヶ月近く井之川で下り船待ちをしているが、徳之島居留中たびたび山村に泊っている。
山村は全島のジュリ(女郎)が集まる船の発着港であったから、西郷にとって愛加那は
すでにわずらわしい存在になっていたとも考えられる)。

それから2年後の元治元年(1864)2月、許されて帰藩の途中の2月23日から26日まで
竜郷に滞留しているが、その四日間が愛加那と西郷の最後の逢瀬であった。
316日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:11:57.57ID:nhvmLyTT
7 愛加那の心情 後篇

明治2年(1869)九歳の菊次郎が、鹿児島の西郷本家に引きとられた。
子どもと別れるつらさよりも、待望の日が来たと愛加那をはじめ竜家の人々はよろこんだ、
鹿児島で養育され、成人後帰郷したら島役人の道が待っているのだ。
愛加那は朝夕菊次郎の平安と生長を神に祈ったが、どうしたのか出郷後菊次郎の音信は
ぷつりと消えた。

廃藩置県で大政は奉還され、旧体制が一新したことは、島でもいちはやく知った。
その激動のなかで西郷は中央政府の顕官となったというニュースは愛加那をよろこばせた。

十一歳になった菊次郎もその父に従って東京へ行っただろう。
そしてその父の引き立てでやがては日本国の役人になるにちがいない。

その菊次郎への慕情をひたすら菊草にそそいだ。いまの愛加那にとって菊草こそ
生きるカであった。菊次郎の音信はなくても、菊草と二人で生き抜いていけば、いつかは
菊次郎に会える日も来る。愛加那は自分にそう言い聞かせる毎日を送った。

その愛加那を奈落のどん底につき落す事件が明治9年(月日不詳)に起った。
「母さーん、助けて」と泣き叫ぶ菊草が、頭髪をざんばらにし、袴をはき、
二本の大刀を滞びた私学校党員に西郷本家へ強引に連れ去られたのである。
菊草14歳、愛加那39歳。

たった一筋の生きるカであった菊草を奪われた愛加那の動哭と怨念と無残な生きざま
を描くには筆者の力量はあまりにも弱い。

女性だけでなく、すべての人々が愛加那の立場になり、これから個条的にかかげる
ことを、共に考えていたたきたい。

◎7年間も阿木名で流人生活し、文久3年(1863)帰藩を許された重野安緯(やすつぐ・
後の東京文科大名誉教授・島で西郷と交際していた)は、島妻を本妻とすべく
数年(引用者注・・後年?数年後?)阿木名へ下島したが、その女は既に再婚していたため、
その女との間に生まれた子どもの養育費として多額の金をおいて空しく帰藩していた。

◎西郷は帰藩した翌年、岩山イトと結婚した。

◎明治23年(1890)沖縄県の行政巡視をした尼崎三郎が名瀬で愛加那に会った感想を、
『玉鶴という優美の名にして且つ英雄西郷の愛せし婦人なれぱ、さだめて美形ならんと
憶想せしが、案に相違しただ見る一蛮婦五十位の醜面、しかも全く島風の衣服、
手甲には入墨し裸足にて来る。是には喫驚せざるを得ず。是れ即ち後の京都市長せし
菊次郎の母なり』と記している。

◎西郷は菊次郎の出生について、『野生不埓の次第にて正月二日男子を設け申し候。
御笑い下さるべく候』と大久保利通に手紙している。

◎明治31年(1898)西郷流謫地に記念碑建立の際、まだ地面に横たわっていた石碑を
愛加那は足で踏みにじり幾度も唾をはきかけた。
321日曜8時の名無しさん2017/07/06(木) 23:20:12.48ID:nhvmLyTT
8 大島商社と西郷

天保元年(1830)以来奄美は貧富の両極にわかれ、家人(やんちゅ)に身を
落とす者が人口の三分のーにも達するほどになった。
(詳細は拙著、薩摩藩圧政物語「黒糖地獄」を参照)

その奄美の地獄絵図をまのあたりにした西郷が、廃藩置県に際して「大島商社」の
名のもとに、旧藩そのままの体制で奄美の黒糖の搾取独占をはかったのである。
これは秩禄処分によって生計の道を絶たれる薩摩藩士救済のためであった。

天保元年(1830)にはじまる調所笑左衛門の藩財政たてなおしの二大柱は
「大島三島の黒糖独占」と「密貿易」であったが、それを知るのは上級重臣の一部に
限られ、大島の理解者として現在も島民から慕われている名越左源太さえ、「南島雑話」で
『南島は我藩の恩沢を蒙りて今日を渡るといえども−云々』(東洋文庫本二巻141頁)
と書いているから、西郷は藩士たちに『大島は二百有余年我が藩の恩恵を豪ってきた。
今こそ我が藩のために尽すぺき時、黒糖を独専するのは当然である』と教へ、在鹿の
桂久武らに命じて「大島商社」が私企業であるかに見せかけ、新政府になってからも
旧藩そのままの残虐横暴な搾取をつづけたのである。

欧州帰りの青年丸田南里がこれを見て『自由の世代だ。大島商社を打倒すべきだ』と
島民を指導、遂に明治10年(1877) 55人からなる大陳情団を鹿児島へ送ったが、
全員投獄のうえ西南ノ役に出陣を強要されたのが35人、うち戦死6人、田原坂での
敗戦敗走の山中で逃亡し、鹿児島残留者ともども官軍に投降、帰島を命じられ、
帰還の海上で遭難、生存者僅か24人という惨事をひき起した
(詳細は拙著「黒糖騒動記」参照)。

明治11年「大島商社」廃止後も奄美砂糖を取扱ったのは鹿児島糖商のみであり、
高利に高利で島民を苦しめつづけ、その実情を見た支庁長新納忠三は、大阪から
「阿部商会」を誘致したが、新納支庁長は即刻罷免、警察署・検察庁はともに
阿部商会いじめにかかり、この不当に義憤をもやした石井清吉(註)は『利息は
法定利息のみを払へ』等の『三法方運動』(現在草案執筆中)を展開、裁判で
争ったが長崎高等裁所で悉く島民が勝利し、鹿児島糖商側の「南島興産」は倒産。
それに憤った糖商側は「リキジン(琉球人=奄美人)とカンジン(乞食)の真似はすんな」
など暴言をはき、これがこの侮蔑的俚諺を生むにいたった。

 ※石井清吉 = 三重県伊勢の人。慶応義塾出身後、新法律解説のため全国を
 遊説中、沖縄からたまたま徳之島母間村に駐留していた。

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