もし魂が鈍重な物質の中に下降しないとしたらどうでしょう。魂は自己を知ることもなく、内在の力に気付くこともなく、ついには自己神性を悟る時もないでしょう。
ここに地上出生の意味を汲み取って頂きたい。
ちょうど一粒の種が地中にまかれ、雨と熱で発芽するように、魂も暗い土の中で目を開くのです。
その受ける苦しみ、圧迫と悪、これらに抗しながら、魂は無自覚から自覚へと進んでいきます。こうして多年の辛酸を経て、人は物質の主となり、自己の主となり、ついには真・善・美の主体となるのです。
人はこの地上生活中に、自己と肉体と感情両面の弱さを克服しなければなりません。
これは人間の義務です、それが地上降下の目的ですから。
こうして人間が自己の主となる時、ついには自立と自由が生まれ、地上に在りながら、天性と一つに結んだ者となります。
有限の心をもって、永遠を知ることは出来ません。人の内面の奥所には、信じがたいほど完全な世界があります。
人が恐怖・感情・心痛・利己などに対し、自己統制ができるようになれば、即ち平和の聖域に踏み入るようになれば、その世界の栄光を目にすることになります。
なぜ、魂は世俗の誘惑に耐えねばならないのでしょうか。
その答えは簡単、試みなくして、人間の内在の神性は花開くことなく、力を強めることもないからです。
試みがなければ、人は自己を知ることはありません。
ただぼんやりと存在するだけでしょう。
どんなに困ったこと、心わずらわすことがあっても、それは一時のこと。
自分が大切な教訓を学ぶための、ほんの仮相にすぎないということ。
皆さんは、今、自分が幸せになるための、欠かせない教訓を学ぶために、ここに居ます。
それこそ、貴方がこの世を生きぬくための、生きた経験、知恵です。
どうか、自分のなすべき物質界の事にベストを尽くされるよう。
人の苦しみ、人の我慢、、悲しみ、自己鍛練、これはみんな身のためになることです。これは無駄じゃないのです。
そのおかげで貴方は進歩し、幸福と完全な生へと向上していくのですから。勇敢に勇気を出して希望をもって、自分の人生を進んで下さい。
思いどおりに物事がいっている時は、どんな幼稚な存在でも心楽しい。
しかし万事がうまくいかぬ時に、ニコリと笑えるなら、その時こそ自己の力が発揮される。
それができないままの人生なら、ただの「でくのぼう」である。